北海道の音楽文化のレジェンド高瀬清志さん、八坂ちはるさん”芸森スタジオ&Cloud lodge”再生の歩み。
「芸森スタジオ & Cloud Lodge」は、北海道の音楽文化の拠点にすべく、
「株式会社ウエス」(本社:札幌市)の小島紳次郎社長と歌手の松山千春さんが、
長く休眠状態だったスタジオを取得し、2008年に新たに運営をスタートさせた宿泊設備付きのレコーディングスタジオです。
スタジオの再生に向けて、運営管理を託されたのが、北海道の様々な音楽シーンの先端を走り、音楽文化を支えてきた、株式会社SAVEの高瀬清志さん。
スタッフや関係者、そして芸森スタジオに通う多くのミュージシャンから、愛情込めて「ボス」と呼ばれる高瀬さんは、自らも学生時代よりミュージシャンとして活動し、ヤマハのポプコン運営時代には新たな才能の発掘そして育成側にまわり、北海道の地方部まで奔走し、当時無名だった中島みゆき、安全地帯を全国区へ送り出しました。
北海道を代表する二大FMステーションの創成期の中枢を担い、ブレイク前の宇多田ヒカルの音源を聴き、いち早くラジオ番組を持たせるなど、国内の音楽業界に北海道の存在感を示す話題の影にはいつも高瀬さんがいました。
多くの友人が東京の大学に行く中で、道内の大学への進学を決めた高瀬さんは、当時東京にたいするコンプレックスがあったそうです。
FMステーシで活躍されていた時代も、東京には負けない番組をつくろうと奮闘されました。
「ラジオを聴いているだけで、都会の風を吹かせたい」という意気込みで取り組んでいたといいます。
その結果、「札幌のチャートに着目しろ」という業界の評判、今でも「札幌が第二の故郷」というミュージシャンが多いなど、札幌のFMステーションに全国が目をむけることになりました。
札幌から東京へと向いていた流れが、東京から札幌へとベクトル(矢印)の向きを変えたのです。
“コンプレックス”を“誇り”に変えた生きざまは、地方で生きる人に大きな力を与えるでしょう。
「北海道の文化として残そう」との気概を持つ人たちの想い、高瀬さんの「ここを拠点に音楽を発信していきたい」「音楽産業に関わる人を育てたい」という強い想いで、廃墟寸前の芸森スタジオの建物の掃除からひとつひとつ始めたそうです。
高瀬さんは、「ずっとここにいても同じ感覚がある。」と笑って話されていました。
そこには、北海道、札幌を人一倍愛する姿がありました。
そこで、強力なビジネスパートナーとして招いたのが、現在株式会社SAVEの統括マネージャーを務める八坂ちはるさんです。
高瀬さんは、レコード会社でプロモーターを務めていた八坂さんの妥協することのない仕事への姿勢、アーティストにふるまった料理の魅力、配慮の細かさを記憶していて、多岐にわたる芸森スタジオの運営を行うためには、この人しかいないと判断されたそうです。
そこから、芸森スタジオを再生する使命を請け負った「最強の二人」が、音楽が生まれる瞬間の環境づくりに尽力され、その施設に命を灯していきます。
冷え切った建物に、脈がうちはじめ、体温があがっていきます
この空間を体験してもらいたい、ここで何かを感じてほしいと、高瀬さん、八坂さんに加え、信頼できるエキスバートのスタッフが集結し、一般の人も宿泊できる、ホテル「芸森スタジオ&Cloud lodge」として再生されています。
“音楽が生まれる空間に泊まる”。
非日常のその空間は、いつの間にか日常に変わり、なぜか懐かしく、童心にかえったようにリラックスできます。
自分の中にもっている五感が刺激され、癒されるだけではなく、過去と未来が交錯し、前向きな気持ちになります。
背中を押されるような幸福感に包まれながら、芸森スタジオを後にするのです。