坂本龍一さんをお迎えしたあの日。“教授”への想いと感謝。
2010年、芸森スタジオが再生の歩みをスタートさせて間もなく、坂本龍一さん(教授)の楽曲に大貫妙子さんが言葉を紡いで唄ったアルバム「UTAU」が芸森スタジオでレコーディングされました。
“教授”は、スタジオのクオリティ、環境、ホスピタリティに感動され、ご自身のキーボードも寄贈されたそうです。
教授が芸森スタジオを大絶賛されたとの評判が、著名なアーティストに広がり、その後、山下達郎、竹内まりや、葉加瀬太郎、奥田民生、UVER World、AK-69、official髭男 dismなど、数多くの一流アーティストの名作が芸森スタジオから誕生しています。
また、海外へのその噂、評価の声は届き、韓国、中国、シンガポール、ドイツ、イギリス、アメリカなどのミュージシャンがレコーディングで訪れる機会も増えています。
壁一面に貼られた、普段見ることができない、屈託のない笑顔と子供のような表情をしたアーティストの写真。
家で暮らすように、リラックスした状態で過ごしてほしいという願いは、素顔の笑い声や珠玉の音楽になりました。
壁面を彩る芸森スタジオファミリーの面々。
その中に、大貫妙子さんの横で、腕を組む“教授”を見つけました。
滞在の最後の日、“教授”はリクエストされたそうです。
「夕食は、“家”のカレーが食べたい。」
最高のほめ言葉ではありませんか。
最後に、芸森スタジオの八坂ちはるさんが、坂本龍一さんの訃報を受け、インスタグラムに記したメッセージを記します。
スタジオ運営を始めて3年目の当時はとにかく必死でした。
この状況下の中で、世界的アーティストである貴方をお迎えするにあたり、
張り詰めた緊張感を抱きながら、様々な方のお力を借りて迎えた初日の夕食後に、
全ての緊張はほぐれ、後に大貫妙子さんとのコラボアルバム「UTAU」が完成しました。
約1週間の合宿レコーディングの終わりを迎える頃、貴方は「このスタジオはバブル期が造った文化遺産で、二度とこの様な造りのスタジオは生まれない。どうか守って欲しい。」というお言葉と共に、
「その為にできる事は協力したい」と
今も尚、ミュージシャンが頻繁に使用するキーボードを寄贈して下さり、スタジオメンテナスや、エンジニアの在り方など様々な事をご教授頂き、更に、あらゆる音楽専門誌取材時にも当スタジオのプロモーションをして下さいました。
それから10年余り。
コロナで「もうダメだ」と
最後の砦のクラウドファンディングを実施最中、貴方はTwitterでこの情報の拡散をして下さり、我々は驚きと共に心が救われました。
そして今。本日も10年以上通って下さるアーティストが合宿レコーディング中です。
彼らは数え切れない程、この場所を利用して下さり、数々の曲がここから生まれています。
紆余曲折ありましたが、貴方からのメッセージを抱え
ボスと「一流のスタジオにしよう」と心に決め、後にスタッフも増え、何とかここまで辿り着きました。
まだまだやるべき事はたくさんあり、日々日々格闘しておりますが、
あれからの、今のスタジオをいつの日か いつの日か
貴方にご覧頂けるのが夢でありました。
無念です。
坂本龍一様
本当にありがとうございました。
これからも我々はこのスタジオを守れる様、邁進して参ります。
見守って頂ければ幸いです。
八坂ちはる